仏教史と莫高窟 06 玄奘三蔵法師


中国の仏教史を語る上でどうしても忘れてはいけないのが『西遊記』でもおなじみの玄奘三蔵法師です。唐の時代すでに名僧としての誉れ高かった玄奘ですが、更なる真理を追究すべく仏教の本場インドへ旅立つことを決意します。しかしそのころ唐朝は一般人が国外へ出ることをかたく禁じていました。

中国史上最も華やかな時代と言われる唐代ですが、さすがに建国当初はまだ各地で小さな反乱は起こっており、まだまだ辺境を完全に統治するまでの余裕がありません。このころの河西回廊は唐の統治がまだ徹底されていませんでした。
また隋代から和親を結んでいたはずの東突厥が、隋末唐初の中原の混乱に乗じて河西地方にもたびたび侵入してくるようになりました。唐は即位したばかりの第二代皇帝太宗李世民が自ら出向いて撤退を請うています。

中国語で買い物をすることを【買東西 maidongxi】と表現しますが、これは唐の都長安城の中に東市と西市という市場があったことに由来します。ここには日用品から飲食店から西域の珍奇な宝物までありとあらゆるものがそろう巨大な市場でした。これらは唐朝の厳しい管理のもとに運営されており、中でもシルクや玉といった西域からの奢侈品に関しては必ず官市にて取引きをせねばならず、官市以外の場所での私的な交易は一切禁じられていました。特に河西回廊は多くの西域商人が往来、滞在する地域であることから彼らと民間人との接触すら厳しく取り締まれていたほどです。

このように軍事的、経済的な事情により民間人が国外へ出ることを禁じていました。それは玄奘のような僧侶に対しても例外ではありませんでした。ゆえに彼は何度もインドへ行くための通行証の発給を申請しましたがすべて却下されています。それでもインドで仏教を学びたいという決意は固く、玄奘は密出国することを計画します。

折りしも起こった冷害飢饉によって長安でも食料が不足してきました。そこで各自都を出て食にありつくようにとのお触れが出たのをきっかけに
玄奘は貞観元年(629)八月、知人の僧が故郷の河西へ帰るというので彼について長安を出発します。




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