仏教史と莫高窟 02 シッダールタの悟り
現在のネパール南部で釈迦族の王子として生まれ何不自由なく育ったシッダールタですが、やがてインドの業とでもいうべきこの命題に突き当たります。どうしたら人間は苦しみから逃れられるのか?地位や家族を捨てシッダールタは修行の旅にでます。
厳しい修行の中で彼が気づいたのは、人間が苦しむのは執着する心があるからだ、ということでした。愛・肉体・感情・物質・地位・富、あらゆるものに人間は執着します。永遠に存在するものなどこの世にはない(諸行無常)にもかかわらず人間は執着します。ゆえにいつまでたっても苦しみは続くのです。
彼は考えました。諸行は無常であるということを知れば、あらゆる煩悩から解き放たれる。いわゆる「悟り」の境地に達せよ、ということです。また輪廻についても、悟りをひらくことによって一切の苦しみから解放されるのですから、苦しみのスパイラルである輪廻の輪から抜け出せるとも考えました。(煩悩の炎が消えた状態を「涅槃」、輪廻から抜け出ることを「解脱」、悟りの境地に達した者を「仏陀」や「如来」といいます。)
以上、言葉にするとそういうことですが、簡単にできるものではありません。ブッダ(35歳でシッダールタは悟りに達したので以後はブッダ)はこの境地はあまりに深遠であるために人に教えることは不可能だと思い、涅槃(=死)に入ろうとします。それを知った梵天王(ブラフマン。古来インドの神)にひきとめられ、ぜひ人々に教えを広めてほしいと懇願されたといわれています。
そしてブッダはサールナート(鹿野苑)という土地で修行時代の五人の仲間に初めて教えを説きました。そして彼らはブッダの最初の弟子となり、これが仏教教団のもととなります。また出家した信者たちが共同生活を営んだ場所を精舎といい寺院の始まりです。そのご多くの弟子たちとともにインド各地を教えを説いてまわり、ブッダは80歳のときに没します。
遺体は火葬され、遺骨を納める塔(仏舎利)が建てられました。やがてそれは信仰の対象となり、遺骨は分骨され各地に仏舎利が建てられることによってブッダの教えはさらに広まります。
ブッダの教えは弟子たちの口伝によって伝えられていきましたが、年月が経つにつれブッダの直接の弟子たちももう生きている人はいません。弟子たちの間でも解釈の食い違いがおこります。ブッダの入滅から200年、そこではじめてブッダの教えを文字に書き留めるようになりました(結集けつじゅう)。これがお経のはじまりです。経典ができたことによってさらに仏教はおおきく発展をはじめます。
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