仏教史と莫高窟 03 仏像の誕生


紀元前4世紀。古代マケドニア王国(現在のギリシャ)のアレクサンドロス大王は地中海世界を統一すると、つぎにアジアへの侵攻を始めます。紀元前327年、ついにはインド北部にまで達した大遠征ですが、彼はその征服した国々に多くのギリシャ人を移住させ、各地にギリシャ人都市をつくります。都市の名前はアレキサンドリア。現在はエジプトにその名を残していますが、当時はいくつものアレキサンドリアがあったようです。



--アレキサンドリアと推定されるアフガニスタンのアイハヌム遺跡--

ガンダーラ(現在のパキスタン、ペシャワール)地方は当時、アケメネス朝ペルシャの支配下にありましたが、アレクサンドロスの遠征軍によって征服されます。もちろんこの地方にも多くのギリシャ人が入植します。そのご遠征軍は撤退をはじめましたので、ここが最果てのギリシャ人都市となりました。


---ガンダーラに残るギリシャ人都市 シルカップ遺跡---

紀元前317年、チャンドラグプタがインダス・ガンジス両域を平定。インド初の統一国家マウリヤ朝を建てます。ガンダーラもその支配下に入りました。紀元前268年、マウリヤ朝第三代アショーカ王が即位します。彼は戦争で多くの殺戮を行ったことを悔いて深く仏教に帰依したといわれています。彼はブッダゆかりの聖地を巡礼したり、多くの仏塔を各地に建てました。アショーカ王の庇護のもと、このときガンダーラにも仏教が伝わります。

アショーカ王が亡くなるとマウリヤ朝もまもなく滅びます。前250年に興ったギリシャ人のバクトリア王国のもとでガンダーラではヘレニズム(東方と融合したギリシャ様式)化が進みます。前139年にはトカラによって滅ぼされますが、後30年、カドフィセスによってクシャン朝が建てられます。クシャン朝は中国の史書では「貴霜国」と呼ばれていますが、この貴霜は敦煌の歴史にも深いかかわりを持つあの大月氏の一部族です。紀元130年にはクシャン朝第三代カニシカ王が即位します。

ちょうどそのころ仏教は大きな転換期を迎えます。仏教の分裂です。
ブッダの教えを忠実に守り、出家して修行にはげみ悟りを得ようとする守旧派に対して、そのようなやりかたは現実的ではないうえ、より多くの救いを求める人たちを救済することはできないではないかと主張する革新派があらわれました。革新派は自分だけが悟りをひらけばいいのではなく、救いを求める人すべてを救済するべきだと説いて、「多くの人を乗せる」=「大きな乗り物」という意味で「大乗仏教」と名乗ります。出家をして苦しい修行をしなくても、ブッダを礼拝することで救済してもらおうというこの考えによって大乗仏教は人々に広く受け入れられます。

クシャン時代のガンダーラはシルクロードの要衝として栄え、交易でたくさんの富を得ました。クシャン人はもともとはゾロアスター教を信仰していましたが、物質的な豊かさでは満たされることのない来世での幸福を手に入れたいと願うようになりカニシカ王のもとで新興の大乗仏教に傾倒していきます。

このクシャン朝カニシカ王時代のガンダーラで仏教にとってとてつもなく大きな出来事がおこります。
それは「仏像」の誕生です。

それまでの仏教は個人の修行が重んじられていたので、ブッダそのものを神格化したり偶像化する必要はありませんでした。ブッダの姿に似せた像を忌避し、かわりに法輪・菩提樹・仏塔・仏足などで間接的に表現をしていました。
しかし大乗仏教ではブッダを礼拝することが重要になりましたので、何か目に見える形での具体的な信仰の対象物が求められるようになります。

さらに、ブッダはガンジス川流域の人なので、ガンダーラのようなインダス川流域にはブッダゆかりの聖地がありません。そういったこともこの地で礼拝の対象物がつよく求められた理由ではないかと考えられています。

そしてこのときに重要な役割を果たすのがギリシャ人です。ついにインドの思想とギリシャの彫刻芸術が融合するのです。古代ギリシャ人や古代中国人は自分たちの歴史を記録としてたくさん残しています。一方古代インドでは現世の記録をほとんど残していません。そこには明らかな世界観の違いがあります。自然や精神世界に重きを置いていた古代インド人に対し人間中心の世界観を持っていた古代ギリシャ人は、神々でさえも人間の姿に置き換えて写実的な像をつくりました。ギリシャ神話に登場する神々はまるで人間そのものです。


---ブッダとヘラクレス像---

さらにクシャン人はもともと、王の肖像をコインに描いたり、石碑に刻んだりという文化を持っていましたので、この地で仏像が誕生することになる下地がすべて揃ったわけです。

ガンダーラでは多くの寺院が建立されます。そしてそこに納める多くの仏像が必要となり、仏像制作はますます盛んになります。

仏教がその後、西域や中国に伝えられるさい、「仏像」というアイテムの重要性ははかりしれません。




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