仏教史と莫高窟 04 仏教伝来
このようにインドで生まれた仏教はやがて中央アジア・西域にも広がり、紀元1世紀の後漢時代の中国に伝わったとされています。紀元67年には初のインド人僧・竺法蘭(じくほうらん ダルマラタナ)や迦葉摩騰(かしょうまとう カーシャパマータンガ)が、また紀元147年には初の西域僧・安息の安世高(あんせいこう)が、翌年には月氏の支婁迦讖(しるかしん ローカクシェーマ)が都の洛陽に来て布教のためにインド経典の漢語訳に従事しました。その後も多くのインド・西域僧が洛陽に集まり(彼らはみなクシャン朝の支配下にあった地方の出身者です)、やがて一般民衆の間にも仏教が広まっていきます。そして初の中国人僧・厳仏調(げんぶつちょう)も生まれます。そのような流れの中、現状に満足できずに本場のインドへ行って仏教を学びたいと考える中国人僧も現れます。彼らの往来によって中国とインドの交通は活発になります。
このような背景により、多くの僧侶、経典が東へ西へと移動します。しかしこれだけではありません。やがてそれに伴う、仏像、仏画、仏具、寺院建築、荘厳(しょうごん・仏像や寺院の装飾)、翻訳、歌舞などに携わる多くの工芸家、技術者、芸術家、職人などの往来も始まります。彼らの移動はアジア各地に仏教芸術をも伝播させました。そしてやがて4世紀になると石窟寺院の造営技術が敦煌にも伝わります。
紀元前2世紀、西インドのアジャンター、カールラ、バジャーなどで始まったとされる石窟寺院という様式は、現在のアフガニスタン(バーミヤン石窟)やトルキスタン(カラ・テペ石窟)へと続く北伝ルートと、現在のパキスタンからクチャ、トルファン、敦煌、大同、洛陽への東伝ルートをとってアジア各地に広がって行きます。
在りし日のバーミヤン石窟(樋口隆康京都大学名誉教授撮影)
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