井上靖作品より 01




松岡譲の「敦煌物語」が一冊の形をとって出版されたのは、昭和十八年の初めであった。それまでに、敦煌に関する研究書や翻訳、紀行の類は、ある程度読んでいたが、敦煌というところに、実際に足を踏み入れてみたいと思ったのは、「敦煌物語」によってであったかもしれない。「敦煌物語」を読んで十四、五年経って、私は「敦煌」という小説を書いている。松岡譲が「敦煌物語」を書いたのは、おそらく、そこに惹かれながら、結局のところはそこに行くことができないという思いからではなかったかと思うが、私の場合も、全く同じことである。先ずめったなことでは、敦煌などというところには、足を踏み入れることはできない、そんな諦めの気持ちと、次第に強くなっている敦煌への関心が、私に小説「敦煌」の筆を執らせたのである。(1978「私の西域紀行」より)





その夜趙行徳は宿所へ帰ると、女から貰った布片を改めて灯火にすかしてみた。そこに書きつけられた僅か三十字ばかりの文字は、漢字に似ているが、漢字ではなく、全く見かけたことのないものばかりであった。これがあの女の生まれた西夏という国の文字だというのか。西夏人が西夏人だけに通用する文字を持っているということも、趙行徳の初めて知ることだった。(1960「敦煌」より)




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