辺塞詩 01


唐の玄宗皇帝の治世(8世紀)は盛唐と呼ばれ、国力も充実して東北辺境は幽州(現在の北京一帯 このころはまだ北京は中華の中心ではなかった)から西北はタクラマカン沙漠周辺にまで支配は及んでいました。辺塞詩とはこれら地域での北方異民族との戦いを舞台にした防人歌のことで、家族や友人との別れ、過酷な自然、望郷、出征の悲しみなどが歌われています。

しかし意外なことに、この辺塞詩はもともとは南北朝時代の南朝の、辺境とは全く接点のない長江流域の詩人たちの間で作られた貴族文学のジャンルでした。彼らは自分たちとは全く異なる西北の自然をイメージして詩を作りました。

葡萄の美酒 夜光の杯
で有名な「涼州詩」の作者王翰も西域へは行かずにこの歌を作っています。

やがて詩人たちの中で出世のために将軍の幕僚として従軍するものが現れます。詩人とは言っても本業は文官です。詩は文官にとっての素養でした。そして彼らの中から従軍体験をもとにした辺塞詩が生まれます。それまでのイメージの詩からリアリティの詩が評価され、王維や岑参といった辺塞詩人が活躍します。

しかし8世紀後半の安史の乱により唐の国力は衰えます。やがて西域はチベット族の吐蕃の支配下に入ると辺塞詩は作られなくなりました。

16世紀の明の時代に「古文辞(こぶんじ)」と呼ばれる極端な文芸復興が行われ、文は秦漢以前のもの、詩は盛唐以前のものが素晴らしいとされました。それにより盛唐期の詩を集めた「唐詩選」が編纂され、杜甫や李白や王維などの作品が大流行しました。


参考:『文明・文化の交差点』(辺塞詩の伝統 松原朗 佼成出版社)




01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16