懸泉置 Xuanquanzhi


けんせんち シュアンチュアンチー

市内から東へ約64kmの三危山の麓、かつての敦煌郡效穀県に設けられた古代シルクロードの重要な駅站(えきたん)址です。秦の始皇帝がつくった全国の郵便網を漢はさらに発展させて辺境の郵便網を強化しました。機動力のある匈奴と戦うために情報のすばやい伝達が重要になったからです。たくさんの駅站(文書郵送用の宿場)を設けてそれらを中継することで郵便網をつくりました。駅站には一般の旅行者や商人に宿や食事を提供する伝舎(でんしゃ)と、高級官僚や外国使節の接待、軍事関連文書の伝達などにつかわれる置駅(ちえき)がありました。ここ懸泉置は紀元前101年、李広利将軍の大宛遠征のさいに設けられたと考えらる置駅址です。


1987年に発見され1990年から本格的な発掘調査が行われました。そのとき保存状態の良い一万五千点以上の木簡・竹簡や文具、陶器、貨幣、衣類、農具などが発見されたのですが、じつは中国考古学史上の驚きの発見がありました。中国最古の文字が書かれた紙が発見されたのです。一般に紙の発明は後漢時代の105年、宦官の蔡倫によるとされてきました。しかし懸泉置で発見された紙は前漢時代のもので蔡倫よりも約1世紀早い時期のものでした。実際には紙は蔡倫の発明ではなく、前漢中期には民間による植物繊維を使った製紙技術が生まれていました。しかしまだ品質が悪く公用に使用できるレベルではありませんでした。のちに蔡倫が原料や工程を改良して上質の紙を大量生産できるようにしたのですが、その蔡倫以前の紙がはじめて発見されたのです。

このように二つの意味で大変重要な遺跡なのですが、発掘調査のあとあたりは全て埋め戻されてしまいました。現在では土盛りだけのなにもない地味な遺跡ですが、根気よく探せば土器や貨幣などが見つかることもあります。



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