河倉城 Heshancheng


かそうじょう ホーシャンチャン



又の名は大方盤城。当初はこの遺跡が漢代玉門関ではないかと考えられていましたが、スタインの調査によって小方盤城が玉門関に比定されたため更なる研究が進められました。1940年代に行われた調査で、多くの穀物の粒が発見されたことから、玉門関に駐留していた兵士たちの食糧倉庫ではないかと考えられています。壁に残る穴は保存のための通風孔のようです。

かつて北方の匈奴との戦いに備えて国境の長城線には多くの兵士が配備されました。当初、彼らの食糧は内地からの輸送によって供給されていましたが、前漢時代後期には戦闘が頻繁にあり駐留兵士の数も激増したため、内地からの食糧補給だけでは間に合わなくなりました。そのため紀元前112年、武帝は河西四郡をはじめとする国境の駐留軍に、耕地を開拓し平時には農業に従事するよう命じました。漢の全盛時には河西回廊から現在の新疆ヤルカンドまで多くの軍事屯田がつくられました。



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