唐代玉門関 Tangdaiyumenguan


とうだいぎょくもんかん タンタイユーメンクアン

現在、わたしたちが見学する敦煌西郊の玉門関址は前漢時代につくられたものです。唐代に瓜州からハミを通る天山南路へ抜けるための新しいルートが開かれたため玉門関は現在の瓜州県双塔堡付近に移転されました。しかし遺構などは発見されておらず正確な場所を特定することはできませんでした。さらには双塔堡一帯は1958年に甘粛省最大の農業用灌漑ダムである双塔ダムが建設されたため、唐代玉門関があった場所は残念ながら水の底に沈んでしまいました。

よく前漢の玉門関で玄奘三蔵や唐詩を思い出すかたがいらっしゃいますがこれは間違いです。玄奘は唐代の人なので、彼が天竺へ旅立ったときの中国の関門はこちらにありました。また密出国だったために夜中にこっそり河を渡ったというのは瓜州県の葫芦河ですし、県内の白墩子や鎖陽城、塔尓寺にも滞在した記録があります。玄奘の足跡や、唐詩に詠われた「春風渡らず玉門関」などに思いを馳せるなら瓜州県を巡ってみるのがいいでしょう。



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