陽関 Yangguan
ようかん ヤンクアン
玉門関の南に位置することから南を意味する「陽」の字を使って名付けられました。よく玉門関が天山南路への、陽関が西域南道への玄関口であると言われていますが、もともとそういう目的で設置されたものではないようです。、敦煌がシルクロードの重要拠点としてますます発展するにつれて往来する人や物が激増しました。従来の玉門関だけでは対応できなくなったために新たに設けられたのが陽関です。現代の敦煌にたとえるなら、もともとの貨物駅を観光用に流用した柳園駅と観光客の増加によって新たにつくられた敦煌駅の関係に似ています。
またこの場所を選んだ理由として、漢の領域内で水が確保できる最西端の場所だったからではないかと考えられています。現在の陽関付近も党河や南湖などの水源に恵まれた地域です。
玉門関の場合と同じで、よく陽関の紹介に使われている写真は陽関の遺跡ではありません。上の写真は墩墩山烽燧台というのろし台の遺跡で、陽関址とは文字通り陽関があったであろう場所という意味でとらえてください。いまのところ関門の遺構などは発見されていません。
「西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん」
二度と漢土を踏めないのではないかという出征兵士の絶望感。一日も早く本場の仏教を学びたいというはやる気持ちの求法僧。あるいは一攫千金を夢見るキャラバンの商人。
あなたならどんな目線でここからの風景を眺めるでしょうか?
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